戸隠神社の太々御神楽(だいだいみかぐら)は、古事記の岩戸段の神話に由来する岩戸神楽です。
この御神楽はまた歴史的にも非常に古く、持統天皇が全国に旱魃の被害が続出する状況を
非常にご憂慮され、戸隠神社に太々御神楽を献奏されて雨乞いの祈願をされた記録が、
御奉納された象牙の笏(げしゃく)とともに残されております。

1,降神(こうじん)の舞 1名
御神楽は先ず修祓、御祝詞の奏上の御神事に次いで降神の舞から始まります。御神入(ごじんにゅう)の舞とも呼ばれ、天照大神が岩窟の中に入れられて、天の石屋戸 (あめのいわやど)を閉めてしまわれたので、 世の中は昼がなくなってしまい、 夜ばかりになってしまいました。
そのため八百万(やおよろず)の神様たちが不安のあまりに、天の安河(あめのやすのかわら) に出てきました。その神様方を天の岩屋戸の前の高天の原(たかまのはら)に呼び集める舞。

2,水継(みずつぎ)の舞 2名
以下天の岩屋戸の前では、神様方がいろいろな舞を繰り広げ、高天の原(たかまのはら)は 神様方の笑い声で大騒ぎになります。水継の舞は大麻を持った水久万里(みくまり)神と柄杓を持った水波乃売(みずはのめ)神が 天水を田畑にそそぎ、農作の豊饒を祈念される舞。
天の岩戸を閉めてしまわれた、岩窟の中の天照大神(あまてらすおほみかみ)さまは、
外の神様たちがさぞかし困っていることと予想されておいででしたが、案に相違して神様方は
「天宇受女、その胸乳を露(あらは)にかきいでて、裳帯(もひも)を臍(へそ)の下に
抑(おした)れて、咲(あざ)わらいて向き立つ---」という、体をやや斜めに開き眼光鋭く、
上目遣いに観客を見据えるという美しくも妖しげな凄さのある独特の舞に、すっかり圧倒されて
しまいました。
この天宇受女命につきましては、天孫降臨段(てんそんこうりんのだん)で邇邇芸命(ににぎのみこと)を護りながら、 五伴諸(いつとものを)の神様方と降臨されていく途中、天のやちまたで、八方に怪光を放つ恐ろしげな猿田毘古神と出会ったとき、 全軍の先頭に立って猿田毘古神を詰問されている様子を読みますと、ありきたりの巫女ではないことが窺がえます。 こうして、神様がたの笑い声で、高天原はひっくり返るような騒ぎになってしまいました。
天照大神は不思議に思われて天石屋戸を細めに開けると、近くにいた天宇受女命に 「私がいなくなって世の中が暗くなり、皆が困っている筈なのに、どうしてお前はそのような 姿で舞を舞い、ほかの神たちは笑って騒いでいるのか」と申されました。そこで天宇受女命は 「あなたよりも、もっと尊い神がおいでになったので、皆喜んで騒いでいるのです」と申し上げ、 天児屋命と布刀玉命のお二人の神様が八尺鏡(やたのかがみ)を岩戸の前に差し出された。
そこには天照大神ご自身の御姿が映っておりましたが、岩戸の隙間が狭いのでどうもよく見えません。 そこで、もっとよく見ようと天照大神が岩戸の隙間を広くされた処、岩戸の横に待ち構えておりました 天手力男命が、天照大神の御手をかき抱きながら、大力にまかせて岩戸を引き開け、 天照大神を岩窟の中から外へお連れ出されてしまいました。
古事記の記述はここで終わりますが、天岩屋戸をそのままにしておけば、またいつか中に お入りになるのではないかと、ご心配になったことは容易に想像されます。 そこで天手力男命は岩戸をかついでひた走り、そして下界へと放り投げてしまいました。 この落ちた岩戸がたくさんある岩に隠れて、見えなくなってしまったのでこの山を 戸隠山(とがくしやま)と呼ぶようになった、と伝えられております。
御神楽を参拝するには
- (1)月並祭が中社及び宝光社の御神前で次の日程の、午前6時30分より執行されます。この御祭事の後、 月並祭太々御神楽が献奏されますので拝観することができます。拝観料は必要ありませんが、 服装は正装(浴衣姿厳禁)は当然のことであります。
- ○中社定日
4月−−25日
5月−−1日・6日・8日・10日
6月−−1日
7月−−1日
8月−−1日
9月−−1日
10月−−1日
- ○宝光社定日
4月−−28日
5月−−3日・5日・12日・16日・20日
6月−−15日
7月−−15日
8月−−15日
9月−−15日
10月−−15日
- (2)御祈願の成就を祈念して献奏することができます。献奏料が必要ですが、詳細につきましては、戸隠神社社務所または当館までお問い合わせください。
- ※戸隠神社社務所 026−254−2001




